最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)1738号 判決 1952年12月25日
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
弁護人草野豹一郎の上告趣意第一点について。
天災事変等不測の事故に因り起訴状が滅失したような異常の場合には、その起訴手続の適式になされたことを起訴状自体によらないで起訴状以外の他の確実な資料により認めても差支えないことは論旨に摘示する当法廷の判決(判例集一巻四号四一三頁以下)の趣旨とするところであつて、今なおこれを変更する必要を認めない。ところで本件の起訴状は昭和二〇年三月一〇日の空襲によつて焼失したこと所論のとおりであるが記録に編綴されている昭和一九年一一月一八日附裁判所書記丹清美作成の水戸地方裁判所の本件公訴並びに私訴各判決書謄本同二〇年一一月一〇日附大審院の本件についての判決言渡の公判調書同日附裁判所書記中川恒雄作成の同院の本件公訴並びに私訴各判決書謄本及び同年一二月二六日附水戸地方裁判所検事局検事加藤成正より同裁判所刑事部裁判長判事早野儀三郎に対する回答書によれば、本件被告人に対し昭和一九年四月八日被告人及び犯罪事実を特定した起訴状(予審請求書)による適法な公訴の提起があつたことを認めるに十分である。されば起訴状の現存しないことを理由として本件公訴を棄却すべしとする論旨は採用するを得ない。
同第二点について。
しかし本件は、昭和一九年六月一七日水戸地方裁判所予審判事の予審終結決定により同裁判所の公判に付せられ、昭和二〇年一一月一〇日大審院が旧刑訴四四八条の二により原裁判所たる水戸地方裁判所に差戻の判決をしたものであつて、かかる場合に旧刑訴法上更らに再び予審を経由すべきことは何等要請されていない。従つて第一審判決及び原判決には所論のごとき訴訟手続上の法令違背は認めることができない。
同第四点について。
所論は、原判決の判決書作成の年月日が虚偽であるというに過ぎないものであつて、旧刑訴四一〇条所定の上告理由その他原判決に影響を及ぼすべき法令違反のあることを主張するものでないから、適法な上告理由として採用し難い。
弁護人山本条吉上告趣意第一点について。
原判決は、その証拠説明の第五の二「受傷と死亡との時間的間隔」なる題下(原判決一〇丁裏以下)において鑑定人古畑、中館、桂、中沢の各鑑定及び証言を列挙した後(但し原判決は後に指摘する通りその列挙した鑑定及び証言のいずれの部分を措信しいずれの部分を措信しないかは全然判明しない)、同(五)の末段において、「しかし、右に掲げた就寝まで一度も症状の片鱗さへ認められなかつたという仮定に基く見解(この見解というのは原判決の引用する桂鑑定人の証言によれば、この場合の受傷は数日前又は二〇時間以前であるとし中沢鑑定人は二〇時間以前と判決するを妥当とするといつている。)を除けば、本件出血が緩徐な経過を辿る性質のものである点及び受傷直後より出血を始めたものと見るのが最も可能性強く、この場合には受傷は死亡前二四時間乃至二〇時間以内である点においては全鑑定人の一致するところである(但しこの結論は最短半日又は七、八時間であるとの鑑定人の証言をも二〇時間以内であるとしていることに注意を要する)。而して本件においては後記の如く大槻が二一日夜就寝まで症状の片鱗も認められなかつたとは謂へない許りでなく、桂、中沢両鑑定人の前記鑑定書の記載並びに「証言」と題する書面の記載中の他の部分によれば受傷後数時間乃至一〇余時間は他人に認識し得る程度の症状を現はさず、そのまま睡眠に入れば遂に他人に症状を覚知せしめることなく死亡することもあり得ると認めてゐるのである。」と説明し(原判決一四丁裏及び一五丁表参照)。第五の三「受傷後の症状」に関し、受傷直後に多かれ少なかれ脳震盪を起したのであろうことは全鑑定人の一致するところであるとして、その程度について各鑑定人の証言を掲げた後その(三)結論と題し、「以上解剖的並びに臨床的各鑑定人の鑑定乃至鑑定証人の証言を綜合すれば、本件受傷は死亡前二四時間乃至二〇時間以内であり、受傷直後より出血し緩徐な経過を執つたものであり、本件受傷の原因たる打撃暴行及びその直後の状況は隣室の者に覚知され得る事なく実行し、経過し得るものであり、その後の症状においても数時間又はそれ以上の間は客観的症状なく、これに続く数時間以内における悪化症状においてすら、意識溷濁に至るまで、通常人にその症状を認識されずに経過し得べく、殊に死亡前九時間前後に未だ頭痛の起らない頃に眠に入れば遂に同床者にも症状を現はすことなく死亡することがあり得るのであつて、大槻は受傷直後出血を開始し出血は継続してゐたのであるが出血が比較的緩徐であるため、数時間乃至一〇余時間は他覚的症状を現はさなかつたとの根拠を把握することができるのであつて、右鑑定及び鑑定証人並びに証人の証言中これに反する部分は措信し得ない(原判決二一丁参照)」と説明している。(但し右鑑定及び鑑定証人並びに証人の証言中これに反する部分とあるのは何であるか明らかでないばかりでなく、例えばこれに反しない鑑定人古畑、中館の証言によれば大槻の受傷の日時は一月二一日の夕方か又は大槻就寝後となるのである)。
以上原判決の説明によれば、原判決は被害者大槻徹が昭和一九年一月二一日午後八時半頃就寝する迄に脳出血の少くとも自覚的な身体的症状等何等かの身体的症状を生じたことを前提として同人の受傷と死亡との時間的間隔を二四時間乃至二〇時間以内と判定したものであること明瞭である。しかるに、原判決は右時間的間隔判定の前提となつた大槻が就寝する迄何等かの脳出血による身体的症状を生じたことを毫も証拠によつて認定していない。すなわち原判決は、証拠説明第五の二の(六)(原判決一五丁以下)において被害者大槻徹の死亡数日前以来の行動に関し多数の関係者の供述記載を掲げているけれども、原判決が自認するように大槻が同年一月二〇日大宮署に連行される迄同人の身体に本件のような傷害を受ける等の異変が起つたことは考えられない証拠ばかりである。なお、原判決は、証拠説明の第六(原判決二一丁裏以下)において多数の証人の証言を掲げた後、「大槻の死亡までにおいて大宮署内で同人に接した右各証人の証言によれば、同人等はいづれも、同署内における大槻の症状には特段な外見上の異状を認めなかつたと云うに帰着するが、同月二一日午前一一時半頃午前中の取調の後被告人に連れられて帰房した時には幾分萎れていたこと、同日午後六時一五分頃就寝の許可を申出でたことは認められ、後者によつて少くとも目覚症状があつたことを認め得るのである云々」と説明して(原判決二七丁参照)右「幾分萎れていたこと「及び「就寝許可の申出」を脳出血の身体的症状であるかのごとく説明している。しかし、右の説明は、原判決がその説明の根拠として掲げている斎藤光之助巡査の供述記載(原判決二三丁表以下参照)及び小沢捨吉巡査の供述記載(原判決二三丁裏以下参照)の趣旨と明らかに矛盾し証拠に基かない単なる想像というの外はない。却つて、原判決の掲げている証拠は、すべて、被害者大槻の身体には就寝に至るまで脳出血の症状と認めうべき目覚的異状さえ認められなかつたと見られる証拠ばかりである。
果して然らば、原判決は、証拠説明第五の二「受傷と死亡との時間的間隔」の箇所の冒頭に「鑑定人等は口を揃へてこの点の鑑定困難を訴へて居りいずれも殆んど常識的推測の範囲を出ることが出来ないということは現在の科学力の限界を物語るものであつて、この科学の限界を超へた部分は他の資料によつて、補充する外はない。」と説明しながら、単にその自ら常識的推測の範囲を出ないという鑑定人等の鑑定又は証言の一部だけ(しかも、何人の如何なる部分か不明である)を採用してこれを認定したに過ぎないものであつて、毫も他の資料によつて補充するところなかつたばかりでなく、却つて反対の趣旨の証拠によつて大槻徹の死亡と受傷との時間的間隔を二四時間乃至二〇時間以内と認定した違法があるものといわなければならない。そして、原判決は、本件殴打暴行の日時を昭和一九年一月二一日午前一〇時頃と、また、死亡の日時を翌二二日午前五時過頃と夫々認定したのであるから、受傷と死亡との間隔は一九時間余りに過ぎないこととなり、従つて、右の違法は、原判決に影響を及ぼすこと明白である。されば、本論旨は、結局その理由があつて、原判決は、既にこの点において破棄を免れない。
よつて、同弁護人の爾余の論旨並びに草野弁護人の上告趣意第三点及び被告人本人の上告趣旨に対する判断を省略し、旧刑訴四四七条四四八条の二に則り主文のとおり判決する。
本判決は裁判官真野毅の意見を除き全裁判官の一致によるものである。
弁護人山本粂吉上告趣意第一点に関する裁判官真野毅の反対意見は次のとおりである
本件は、警察職員が被疑者に対し暴行を加え死に致したという事件であるが、その事案の性質及び過程は、世の常のものとはいささか異つて、実態が怪奇であり幾分猟奇的な感をも抱かしめるものである。
原判決は、本件暴行致死の犯行を認定するに際し、被疑者大槻が死亡した事実及びその死亡の日時が昭和一九年一月二二日午前五時より五時二〇分過頃の間であることは、明白な証拠によつて容易に認定することができた。(弁護人も死亡時の認定については、異論はない)。
そして、第三において右大槻の死亡の原因について究明し、それは脳溢血のごとき病死ではなく、外傷性蜘蛛膜下腔並びに硬脳膜下腔出血に基くものであると鑑定人の鑑定書の記載を綜合して認定している。これも非難の打ちどころはない。
次には第四においてその外傷がいかなる原因によつて起つたものであるかの点を考察し、一ないし七を綜合して、「大槻が顛倒し又は自ら頭を壁に打ちつけ或は自ら鈍器を以て強打したとは考えられないのであつて、結局本件出血は拳様の鈍器を以て右外傷部位を頭部正面及び左側頭部を強打したことによるものと認定した」。論旨もこれを非難してはいない。
さらに、原判決は第五において、受傷の日時を定めるについて、直接暴行を目撃した者はないから、受傷と死亡(この日時は前述のごとく容易に確定し得た)の時間的間隔を鑑定人等の鑑定と証言から導き出すことによつて、受傷の日時を認定する方法を採つた。すなわち、二、受傷と死亡との時間的間隔として、(一)ないし(五)において詳細に各鑑定人の鑑定について本件の判断に必要な部分の説明をなし、(六)においてこれに関連して大槻の死亡数日前以来の動静について記録に現われたところを相当詳細に説明し、さらに三、受傷後の症状として(一)(イ)(ロ)(ハ)(ニ)、(二)(イ)(ロ)(ハ)(ニ)に分つて説明し、(三)結論として、「以上解剖的並びに臨床的各鑑定人の鑑定証人の証言を綜合すれば、本件受傷は死亡前二四時間乃至二〇時間以内であり受傷直後より出血し緩徐な過程を執つたものであり、……出血が比較的緩徐であるため、数時間乃至一〇余時間は他覚的症状は現わさなかつたとの根拠を把握することができる」ことを認定している。
ついで、原判決は最後の第六の一において、右認定の受傷時間の前後に亘り大槻と何等かの交渉のあつた者を(イ)ないし(ヌ)に分つて交渉関係の経過を説明し、前記第五の三の結論における認定に符合するものとし、「以上各般の証拠によつて大槻は昭和一九年一月二一日朝以後に大宮署内において手拳様の鈍体によつて殴打され、少くとも同夜午後八時半頃就寝後に外傷性蜘蛛膜下腔出血の諸症状を経過して判示日時、判示原因に基いて死亡したものであることは明らかである」と認定している。さらに二において以上関係者の中大槻に対し多少とも暴行を加うべき関係がありそうだと考えられる数人について(イ)(ロ)において、一々検討の上嫌疑者から除かるべきことを認定し、(ハ)において被告人は前記認定加害時刻に極めて接近した時刻に大槻と交渉を持つた唯一の者であり、且つ最も深い交渉を持つたものであると認定している。さらに進んで三において被告人について精細に諸種の事情を考え、各証人の証言をも参酌し、これらを綜合して最後に「被告人が大槻に対し暴行を加えたものであることを認めることが出来る」と認定したものである。
かように本件は、罪体すなわち犯罪の体素(コーパス・デリクチ)である殺された被害者の死体は現実に存在し、外傷性の死因に基くものであることは、動かし難い科学的、医学的な明確な証拠が挙がつている。それ故、客観的に犯行があつたことは、明白な事実である。ただしかし、その犯罪の主体が誰であるかの一点が問題となつた。犯行を目撃した証人もなく、又犯行を自白した者もなく、従つて普通の決め手を用いることはできないのであるから、原審は前述のような推理的な方法で、「犯人は誰であるか」を探求し、諸種の角度から一々吟味し、順次問題の範囲を狭めていつて、最後に被告人を犯人と認定したのである。原審の挙げている諸証拠によつて、原審が前記判示事実を認定したことは、まことに相当であつて当審においても等しく肯認し得るところであり、実験則違反その他何等の違法は存在しないものと、わたくしは判断する。
弁護人の所論は、「本件被害者の死亡時と受傷時との時間的間隔の判定は、証拠に基かないで事実を認定した違法がある」と主張する。そして論旨の授用する鑑定人中沢博士の鑑定は、弁護人の補充訊問事項中の仮定を「仮定ニヨレバ、死亡前二〇数時間ノ間一度モ蜘蛛膜下出血ノ症状ノ片鱗モ顕ハレテオラナイデ、睡眠中ニ死亡シテオルトノコトデアル」として、その前提に立つて「受傷ハ二〇時間以前ト判断スルヲ妥当トス」と鑑定しているに過ぎない(記録一一〇〇丁)。同鑑定人の第一審における鑑定は原審も引用するごとく「本件の場合恐らく二〇時間以内とするが妥当である」としている。また、所論は、前記「仮定症状」は単なる仮定ではなく、「現実の症状」であるとして、その前提の下に種々論じているが、原判決は第六において、「大槻の死亡までにおいて大宮署内で同人に接した右各証人の証言によれば、同人等はいづれも同署内における大槻の症状には特段な外見上の異状を認めなかつたというに帰着するが」と一応断つておきながら、さらに続けて「同月二一日午前一一時半頃午前中の取調の後被告人に連れられて帰房した時には、幾分萎れていたこと、同日午後六時一五分頃就寝の許可を申出でたことは認められ、後者によつて少くとも自覚症状があつたことを認め得るのである」と認定している。これらの事実は前記「仮定」の中には全然含まれていないのである。「仮定」だけからは中沢鑑定人もいうごとく「仮定ニヨレバ、死亡前二〇数時間ノ間一度モ蜘蛛膜下出血ノ症状ノ片鱗モ顕レテオラナイデ睡眠中ニ死亡シテオルトノコトデアル」との前提で鑑定をしたのである。しかし、原審はこの仮定を認定したのではなく、却つて前述のごとく、「少くとも自覚症状があつたことを認め得る」としているのである。それ故、前記「仮定」を現実の事実とし、これを前提とする弁護人の所論は、すべて前提を欠くものであつていわば架空の議論である。原判決は、なお「右の如く僅かな異状しか認められなかつたかどうかはにはかに措信し得ない」として、暗に前記以上の自覚症状の異変があつたことを、積極的に判断はできないが、疑つている立場をとつている位であるから、前記「仮定」を認めていないことは明白である。そして、原判決は、自らが認定した「右の外見的症状が僅かにのみ認められる程度であるとしても、正に前記第五の三の(三)の認定に符合するもので」あることを認め、以上各般の証拠によつて判示暴行致死を認定したものであつて、その認定に違法のかどは存在しない。原審が本件において証拠とした鑑定人の鑑定及び証言が多分に推理に基礎をおくことは、本件のごとき案件の鑑定の性質上当然のことで、鑑定の結果が推理に基くの故を以て証拠力がないという所論は、鑑定の本質を解せざるものと言うべきである。本件における鑑定は困難な問題ではあるが、所論のごとく不可能視さるべきものではない。不可能にはあらざるが故に現に各鑑定人は鑑定をしているのである。この鑑定を原審が証拠としたことは何等の違法もない。所論は、結局原判決の認定した事実に副わない、否むしろ原判決の認定した事実に反する前記「仮定」を現実に認むべきものであるとの前提に立つて、論議を重ねているに過ぎないし、また証拠の取捨判断を攻撃するに止まるものである。論旨は採ることを得ない。本件における各弁護人のその余の論旨も理由がない(一々の判断は必要がないから略する)。よつて本件上告は棄却さるべきである。(昭和二七年一二月二五日最高裁判所第一小法廷)